「信仰心」というリソースを最大限に生かす

2代目以降の信者さんが
宗教による生きづらさを解消して
「自分のための人生」を生きられるように
なることのメリットはなんでしょう?

まずひとつめは、
Mind(思考)とBody(身体)が
一致してきて自然体になっていくことで
「信仰心」というリソースを
最大限に生かしていける、
ということ。

そうして「信仰心」とともに
自然体で過ごしていると、
理想的なことが向こうからやってくるように
なります。

不思議なことですが、
Mind(思考)とBody(身体)が
一致した状態で自然体で過ごせていることで
すでに満たされているので、
向こうからやってくる理想はおまけのような
感じかもしれません(笑)

なくてもいいけど、
あったらもっと幸せ♡
のような^^

心理学では、
その人がもつ固有の強みを
【リソース】とよびます。
【リソース】は自分と向き合ったり、
生き方を変えようとするときに
とても心強い味方となってくれるものです。

それは、
家族や友人、ペットなどとの
“関係性”。(つながり)
お金や車をもっているなどの
“物質面”。(所有)
頭がいい、論理的であるなどの
“知性面”。(インテリジェンス)
力持ちである、足がはやいなどの
“身体性”。(身体能力)
アートや音楽が得意、好きなどの
“創造性・独創性”。(クリエイティビティ)
喜びや嬉しさ、美しいなどの
“感情・感性”。(センシティビティ)

まだまだあります。

お気に入りの毛布、
空を見上げた時の解放感、
ピアノを弾くときの指の感触、
絶対に大切にしたい自分だけの哲学・・・

あげればキリがないほど、
【リソース】は人それぞれ
であり十人十色です。

「信仰心」というものは、
まさしくリソースそのものです。

しかし、
宗教が人生の真ん中にあるとき、
その「信仰心」がしがらみになっている、
ということはよくあります。

“〇〇しなければ。
正しい選択をしなければ・・“

“今はそれができているから恩恵を
受けることができている。
だからそれを続けていかなければ。”

“これをやめたらこの平穏な生活が
なくなってしまうかも知れない。”

こちらの記事
宗教や信仰のある家庭に育つとは?)
でもお伝えしていたように、
それは純粋な信心によるものではなく、
集団社会性のなかで生まれたしがらみに
よる思い込みかもしれません。

今その信心ゆえに
悩みや苦しみを感じておられるかも
しれません。

でも大丈夫です^^

このブログを読んでくださっている方
の根っこには必ず純粋な信仰心が
あります。

自分が人生の真ん中にあるとき、
「信仰心」をリソースにして
生かしていくことができます。

純粋な信仰心がもたらして
くれるものはたくさんあります。

●信じるちから

「信じる」って案外むずかしいことです。
単に不慣れということもあるかもしれません。

たとえば、
親子関係・パートナーシップ・師弟関係・・
どんな人間関係でも
“信頼する”ということができれば、
お互いにそれほど苦しむことはありません。

それができないゆえに相手を
コントロールしようとしたり、
放っておけなかったり、
愛ゆえに苦しみが生まれるという
矛盾が起こってしまいます。

でも2代目以降の信者さんは
「信じる」ということについて
幼い頃からトレーニングを受けている、
といっても過言ではないですよね。

三つ子の魂百まで・・
とはいいますが、
ある意味「信じること」について
トレーニングを受けていることは、
目に見えない英才教育のようなもの
ではないかと思います。

本当に不思議なことですが、
「信じること」に長けているからといって
“すぐに騙される”ということには
直結しないんですね。

前提として、
「信じる」かどうかを判断する
微細なセンサーのようなものが
発達していて、危険なものを
気づけばすっと避けている。

これはトレーニングの賜物でもあり、
何らかの存在に護られている証拠
ではないでしょうか。

また、
だれかの夢を信じる人が
もう一人いれば、
その夢が実現する可能性は2倍になる、
と私は考えています。

夢でも目標でもいいですよね。
そのビジョンが実現する!
と信じてやまない眼差しが
2つから4つに増えたら・・・
それが実現する可能性は
きっと倍増します^^

そして、
“自分の人生への信頼”は、
あらゆる悩みや苦しみを
乗り越える糧となってくれます。

目の前で起こること、
展開していく出来事に
ときには感情がゆさぶられ
心が乱れることはあるけれど、
それがいったん落ち着くと、
“これはなにかに繋がっている”
となんとなく感じて、
重たいものがふわ~っと
消えていきます。

心理学者のケネス・パーガメントの
この言葉がそれをわかりやすく
表現してくれています。

『自分の身に起きた悪いできごとを
神の計画の一部とみなすと、
人は苦難に健全に対処できるものです』

自分の気持ちや考えより、
宗教の価値観が優先されているとき、
意外にもこのような考え方に
葛藤が生まれることがあります。

むしろそうした考えに
息苦しさを覚えてしまいます。

それは、
深いところでは
“我慢をして”、
“仕方なく”
“責任感で”
宗教の価値観を優先させているからです。

そんな自分に気づいて、認めてあげて、
「あなたが中心でいいんだよ~」
と伝えてあげることができれば、
きっとまた純粋な信仰心が
顔をだしてくれます^^

大丈夫。
「信じる」ということを
純粋にやってみても、
自分を取りもどしたあなたなら
宗教の価値観に飲み込まれてしまうことはないし、むしろその価値観をおおいに生かしていけます。

●ゆだねる感覚

宗教的な価値観のなかにいると、
「あとはおまかせしなさい」
という言葉をよく聞くことが
ありますよね。

だからなのか、
信仰をもっている人は
寝つきがいい人が多い、
という印象があります(笑)

私自身、
小さい頃から寝つけない、
ということはありませんでした。

悩んだり、
苦しかったり、
生きていればいろんなことがありますが、
夜になるとちゃっかり眠れてしまいます。

無意識に、
悩みや苦しみを
“一旦あずけておく場所”を
心のどこかにもっている。

もしくは、
信仰の対象となる存在が手を差し伸べて
“一旦あずけておく場所”を
心のどこかに提供してくれている。

そういう側面もあるのかもしれません。

どちらにしても、
そんな場所が心のどこかにあると
想像すると、じんわりと温かい気持ちに
なってきませんか^^

それは間違いなく、
あなたの心のなかに
そんな場所があるよという、
なによりもの証拠です。

●まもられている安心感

「ご神仏が守ってくださったんだね」
「ご先祖さまがいつも見守ってくれているよ」
そんな言葉はもう三度の食事のように
当たり前のものですよね(笑)

子どもの頃や学生時代には
『そうじゃなくて私を見てよ!』
『僕の努力を認めてよ!』
という悲しい気持ちになったことも
あったかもしれません。

その悲しかった気持ちそのものは、
気づいた今、寄り添って癒してあげると
いいですね^^

大人になって、
精神的にも成熟してくると、
人や親からの承認や評価ではなく、
自分がどれだけ自身を受容することが
大切なのかがわかってきます。

そんな瞬間があれば、
今、“宗教”というところに
差さっている人生の軸を、
すっと抜き取って、
“あなた”というところに
すっと差しなおしてみてください。

すると不思議なことに
「ご神仏が守ってくださったんだね」
「ご先祖さまがいつも見守ってくれているよ」
この言葉の真髄がす~っと染みわたるように
感じられます。

人生の軸が“宗教”の側にあるままでは、
意外にもこれらの他力な言葉に安心感を
感じられなかったりします。
自力と他力の割合が0/100となって、
ぐらぐらしてしまうからなんですね。

“自分”の側に人生の軸があるとき、
自力と他力の割合が50/50となって、
自身のちからは本領を発揮して始めるし、
素直に他力の支えを求めることもできます。

なんとも
無条件の安心感というか
“あ~このままでいいんだ”
とお腹の底から納得できるようになります。

しがらみのなかで
しんどさや辛さを抱えていると
思考優位になって頭のなかが
グルグルしてくることがあるのですが、
信仰心とは本来、感覚的なもので
もっともっと軽やかなものです^^

このブログを読んでくださっている方が、
宗教的な悩みやしがらみを抱えながらも
一蹴できずにいるのは、これらの恩恵も
ちゃんと受けとっているからではないでしょうか。

「感謝が足りない」というトラウマワード(笑)

最近では、
“引き寄せの法則”や
“願望実現”という名目で
この世の原理原則が語られるように
なりました。

そのなかで説かれていることに
よくよく耳を澄ませてみると・・

そうなると信じてみてくださいね~、
一度願ったら執着せず忘れてくださいね~、
リラックスして安心していてくださいね~、

あれ?
引き寄せとか願望実現で言われてる
メソッドって信仰心のある人が
得意なことばかりではない?

そこに気づいて驚きました。(笑)

そう考えると、
その信仰を心の底から信じている人が
奇跡を体験するのは当然なのかも
しれません。

●『信じるちから』
●『ゆだねる感覚』
●『まもられている安心感』

せっかく既にもっている
「信仰心」によるこれらの
リソースを生かさない手はありません。

だから
「宗教のための人生」を
「自分のための人生」に
スイッチして変えていくこと。

そのためにどうすればいいの?

それが
『自分と向き合うこと』や
『自分をよく知る』、
『自分を大切にする』、
ということです。

宗教2世・3世にとって
「感謝が足りないからだ」
はトラウマワードですよね(笑)

アドバイスする側も、
無意識のうちに
(自分たちの信仰に対する)
感謝が足りないのよ」
という枕詞を忍ばせているし、

受けとる側も
その忍ばされた枕詞を
感じとるので、いろんな意味で辛いです。

信仰に忠実になれない自分、
受け容れてもらえない自分、
なんとなくちゃんとできていないような自分・・

もう自分を責めるしかなくなって
しまいますよね。

もちろん
自分を責める必要なんて
ありません。

でも
「感謝が足りない」
という言葉をトラウマのままに
しておくのはもったいないです。

一度、
(自分たちの信仰に対する)
という枕詞を消して
視野をちょっと広げてみると、
「感謝が足りない」という言葉が
ものごとの本質をついていることに気づきます。

引き寄せの法則も、
“足るを知るが多くを引き寄せる”
という本質的な原理を魅力的な言葉で表現したものです。

『自分と向き合うこと』や
『自分をよく知る』、
『自分を大切にする』、
これらのことが足元を見ること
につながります。

だから
豊かな人生のためには
《今、ここ》が
大切なんですね^^

次回は、
“時代の変化”という観点から、
信者さんが「自分のための人生」
を生きることのメリットをお伝えして
いきますね。

最後までお読みくださってありがとうございます^^

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Q.「ソマティック(身体性)とは?」

●【概念編】
思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。

●【本質編】
ソマティック(身体性)な探究~本質編~

●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的な考え方です^^